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毎年各地で「記録的な豪雨」

宇治川は大丈夫か

昭和28年災害

小学校4年生 社会科学習資料

おぐら池

(5)

​作:布川庸子さん(元教諭)

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九.ダムの建設

(淀川水系改修基本計画)

 昭和二十八年の大雨は、何十年に一回、いや何百年に一回という記録(ろく)的な大雨だったかもしれません。かと言ってそれがまた来年やってこないというほしょうはないのです。長い間かかって人々が作りあげたものが押し流されたり、いっしょうけん命育てたものが水害でだめになって、その年の収入が全くなくなってしまうなんて、こんなつらい苦しいことはありません。

 そこで何とか水害をふせぐ方法はないか真けんに淀川水系の見直しがされました。何といっても宇治川は、水源が日本一大きい琵琶湖(びわこ)です。琵琶湖の水位は滋賀県の人々の生活がかかっています。下流の大阪府も淀川の水を使っています。京都府の都合(つごう)だけで流してくれと言ったり、止めてくれといったりすることはできません。

 そこで、昭和二十九年に、淀川に流れ込んでくる川の全部を見わたして、どうしたら水害をふせぐことができるか、専門(せんもん)の人たちに考えを出し合ってもらって、堤防を強くする工事や、ダムを作って水の量を調せつすることが計画されました。

 この計画によってできたのが天ヶ瀬ダムです。

 天ヶ瀬ダムは、大水のとき水を調節し下流を水害から守ることが第一の目的ですが、この水を使って発電もしていますし、宇治・城陽・久御山・八幡の上水道に利用することも、あわせて考えられました。

 また、木津川の水量を調節するのに、上流の川に高山ダムや青蓮(しょうれん)寺ダム、室生(むろう)ダムも作られました。

​ これらの大きい事業が次々と完成されていき、雨が降るたびに大変なやまされていた沿岸の人々も安心してくらせるようになりました。

宇治川ライン

 宇治から石山へぬけるハイキングコースから、おおきな岩のならぶ、すばらしい川のながめが見られます。かわいらしい「おとぎ電車」が走っていて、そのながめを車中から楽しみました。今は、ダムの底に沈んでいます。

宇治川ライン.jpg

十.新しい問題

 昭和四十年ごろ、小倉えきの西がわに何げんかの住宅がたてられました。

 田んぼの中に家がたちはじめたと思う間もなく、住宅は西へ北へとどんどんひろがりました。住宅がふえると学校がいります。買い物するところがいります。田んぼの中にぽつんとあった小倉えきは、今は東も西もマーケットなどのたちならぶ町の中のえきになりました。

 向島えきの東がわは向島ニュータウンの高いたて物がたちならび、西がわには新しく高校もたちました。

 まだまだ広い田はひろがっているものの、干拓田はどんどん住宅地として利用されていったのです。

 宇治市や城陽市は、京都市に近いこともあって通きんに便利です。

 西の方の田んぼだったところ、東の方の山だったところが次々開発され、住宅が急にふえたわけですから、それにともない新しい問題がおこってきました。

 今まで木や草がしげったり、田や畑であったところに家や工場がたち、コンクリートでほそうされた土地になったりしたわけですから、雨がふると急に水がでるようになったのです。

​ 近くの川などで、つね日ごろ水の少ない川が、雨がふるとものすごい濁(だく)流となって流れているのを見たことがあるでしょう。

東一口のポンプ場のおじさんは

​ 「むかしでしたら雨がふっても水がここまでくるのには、二・三時間は間がおした。今はちがいまっさ。ふったと思ったら三十分ですなあ。どーっと水が来よります。そしたらポンプはフル回転どす。お天気やったら仕事はなくてひまやけど、雨がふったら大変どすわ。ほんまに雨がふったら、ここの水の調節のしかげんで水につかる住宅も出てくるし、苦じょうも聞いたり、ええことおへん」といってられました。

 東一口のポンプ場は、おぐら池の干拓田だけでなく、今は宇治市・城陽市・久御山町の家庭排水なども全部集まってくるので、水のよごれが大きな問題だということでした。

​ 自然が人の手によって作りかえられると思わぬところで、しっぺ返しを受けることがあるのですが、自然を守りつつ、わたしたちのくらしをよくしていくことが、これからのわたしたちの課題です。

ポンプ場.jpg
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東一口のポンプ場から

淀川へ水が流される水門

後記

一九八五年八月 布川庸子

 この「おぐら池」の社会科資料は昭和五十六年、久世小学校の四年三組を受け持っていた時に書いたものです。四年生の最後、一年間をふり返って一番おもしろかった学習は「おぐら池」だったという答えが返ってきました。それは、私自身が資料を作るために、いろいろ本をひっくり返したりして、おぐら池の歴史はおもしろいなと思ったことが伝わったのだと思います。

 この資料をもとに、おうちの人々ともいろいろ話し合ってください。

 また、水害のことや、古いおぐら池のことを知っている人があったら、お話を聞き、まとめてみるといいでしょう。

​ このプリントは、『巨椋池干拓誌』、久御山町副読本『水とのたたかい』、『宇治市史』を参考にさせていただきました。改定にあたっては、宇治市歴史資料館の若原英弐先生にいろいろ指導していただきました。

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