宇治自治体問題研究所
毎年各地で「記録的な豪雨」
宇治川は大丈夫か
昭和28年災害
と
宇治市
(4)
公開講座 2021年3月21日
講師 小嶋正亮さん
講演要旨(文責:宇治自治問研 H・T)
3.昭和28年災害「28災」
①8月14日「大正池決壊等」(前ページ)
②9月25日「宇治川堤防決壊」
4.その後も水害続く(次ページ)
資料 昭和28年大水害の被害
3.昭和28年災害「28災」
宇治市の被害は、
8月の豪雨災害より
9月の台風13号による被害が大きかった
(2)9月の台風13号
昭和28(1953)年9月25日、志摩半島に台風13号が上陸しました。この台風は、典型的な雨台風であったので、降雨地域、降水量とも非常に大きく、総雨量が京都府北部の多いところで500mm以上、山城地域でも230mmを超えるなど、京都府全域が豪雨に見舞われ、淀川、由良川、木津川、宇治川、桂川等の大河川がいずれも決壊や氾濫し、各地で浸水被害を引き起こしました。(京都府のHPより)
復興に立ち上がろう
昭和二十八年九月二十五日は、何と言うわれら市民に最悪の日であった事でしよう。
風雨を交えた台風13号は吾等の夢想だにしなかつた災害をのこして通り魔の如く去つたのです。その被害総額は二十一億三千萬円と計上され人的被害が少なかつた事は幸いではあつたけれども、久しく水没にさらされた巨椋一帶七〇〇町歩の収穫は絶望であり、笠取の被害は狀況判明とともに莫大となってきました。
だが何としても立ち上がらねばなりません。これは唯一、至上の命題です。
市も今急速に全機能を動員して厚生、土木、産業の各部面にわたつて、対策と復興の進路をひらくに懸命であります。市民の皆さん!お元気ですか、老人や婦女や子供たちを元氣づけて下さい。
苦しいでしようが、手をとりあつて立ち上がつて下さい。
市民の皆さん、日本一の美しい町、もとの宇治市に一刻も早く復興の槌をふるつて必ず達成致しましよう。
台風13号による全国の死者行方不明者は478名。
★小嶋さんは、田畑の被害で、水につかった被害も大きいが、流れて無くなった被害の大きさにも注目していた。
★会場から「浸水被害の大きさのわりに、宇治市の人の被害が幸いにも少なかった。その原因は?」の質問。
小嶋さんは、「①当時は合併直後、人口増加の前で、人口少なく、純農村地帯だった。地域の共同体があった。②もともと水害が多かった地域。水害被害の経験者が家族や地域に一定いた。「堤防が切れた」との一報を聞いたお年寄りが「(避難する前に)ご飯を炊こう」といったという話がある。水害の経験者が、堤防が切れてから実際に水が来るまで時間があること、避難先で食料(おにぎり)の重要さを知っていたからだ。
避難ができたから人の被害が少なかった」と回答。
宇治川の堤防(伏見区の観月橋の下流左岸)が決壊。
宇治川の下流から奈良電の鉄橋方向を見る。宇治川の上流にアーチ形の鉄橋が見える。
「巨椋池が蘇った」
柱が並んで見えるのは奈良電(現、近鉄)
現小倉小学校付近から巨椋神社方向を見る
奈良電の線路が浸水
巨椋神社付近の様子
小倉の旧24号線(現在の宇治徳洲会病院に進入する信号の1つ南の信号、陸橋のところ)
宇治橋の様子
山間部の田がえぐり取られている
小倉小学校での避難の様子
写真のプレートの上のまで浸水。西宇治体育館の階段を上がったところにプレートが設置されています。