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毎年各地で「記録的な豪雨」

宇治川は大丈夫か

昭和28年災害

​宇治市

(2)

​公開講座 2021年3月21日

​講師   小嶋正亮さん

2.昭和戦後に水害多発

昭和28(1953)年以前も水害が続発

 宇治市では、昭和28年災害の前も「終戦后毎年水害が続発」していました。

​ 昭和27(1952)年9月1日付「市政だより」は次のように述べています。(赤字は、宇治自治問研)

戦後の水害.jpg

昭和27(1952)年9月1日付「宇治市政だより」

水害と宇治市の河川

復旧工事の進捗状況

 ご承知のように終戦后毎年水害が続発し、宇治市内の被害も相当廣範囲にわたり、河川、道路、橋梁等その被害は、市民心痛のまとです。ごくわずかな雨でも

その河川の流出量は予想以上に大きく、きまつたように護岸堤防の流出、決潰を引き起こしています。

たたる森林の伐採

 これは申すまでもなく戦時中、上流山間部において、森林の亂伐や、河川改修維持修繕の放置されて居つたことに起因するものであります。森林は河川の流出量を調節する自然の力を持っていて、降雨が一時に河川に流入するのを防ぐのに、もつとも効果のあるものです。

​ 最近の出水においては、特に中小河川の氾濫が目立つて居り、この中小河川の氾濫によつて田畠に土砂や石ころが流入して、長年辛苦の美田が一朝にして砂礫の河原になり、それでなくても冠水のた

折角植付けた稻も枯らして失うごとき有様は、市内でも各所に発生しております。

 本市において管理している河川は、志津川、笠取川、白川、新田川、戰川、堂ノ川、名木川、及び古川(一部)でありますが、いずれも一たん出水の場合には、過ぎる七月二日の出水の時のごとく、各河川のところどころが危險な狀態におちいり、地元の方々の献身的な御協力を得て居る次第であります。

六地藏 巨椋の低地

 なかでも東宇治木幡、六地藏附近の府道と宇治川との間の低湿帶は、出水の都度全面的に冠水して、本年になつてすでに三回以上も冠水し、莫大な被害をこうむつております。この一帶は宇治川の水位が上昇した場合、山科川、堂ノ川等の流水が停帶するのみならず、宇治川の洪水が逆流する現象の結果であります。したがつて同地帶は、宇治川と山科川の改修工事が実現せざるかぎり、水害から解放されることは望みがたいのであります。

 巨椋池干拓農地も、元來干拓地であるために、宇治川の水位に比して地盤が低く、ポンプで排水していますが出水時は終始冠水するのであります。

 宇治市内においてはかかる特殊の地形の関係から、廣範囲に及んで水害をうける地帶が多いので局部的に同様の狀況におちいる地点もまた多いのであります。

治水對策は綜合的に

 一般に水害を完全に除去せんがためには、河川の流路および流域一帶に綜合的な計畫をたてて実施せねば駄目でありまして、先づ上流山間部の植林計畫、山腹砂防工事、溪流砂防工事、護岸築堤工事等でありますが、うち土木課では砂防工事以外の河川工事を行うもので、護岸工事のみ完備しても河川は安定するものではありません。したがつて、流域、全流路の各種工事を綜合的に実施せねば、決定的な効果は期待することは不可能です。

 したがつて、事業の主体も宇治市のみならず各関係官廰その他の助力を得ることになり、工事の規模も非常に大規模になることは必然で、毎年の差異が復旧工事ですら財政難で著工に行き悩みの現狀であつてみれば、諸河川の改修工事等は仲々もつて困難であろうかと思はれます。

​復舊工事の現況

 わが土木課において、昭和二十四年來災害復旧工事に対して、二十二ケ處が国庫補助金を得られるようになっておりますが、そのうち完成したのは九ケ處であります。のこる工事十三ケ處のうち、昭和二十四年災害工事は四ケ處二十六年災害工事は六ケ處本年七月の災害工事が三ケ處であります。

 国庫補助の得られぬ災害復旧工事(市の單独工事)は国庫補助工事に対して、工事の点では七分の一程度でありますが、災害個處は全市にわたつて二十ケ處以上もあり、折角早急に復旧計畫を立てたいと努力している次第であります。

​ 尚国庫補助工事二十四年災害復旧工事二ケ處、二十六年災害復旧工事一ケ處は、おそくとも年内には着工出來る見込であります。

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